日本語教室とネットワーク構築

O町日本語教室の市担当者から連絡がありました。

「習字の指導を引き受けて下さる方を見つけました。定年退職校長ですが、教えて頂いた通りにお願いしたら、快く引き受けてもらえました」

 

指導をお願いする上でのアドバイス

外国人支援をしている貴方たちが弱者救済だと思っていたら、地域の人たちを巻き込むことはできません。(弱者なら外国人以外にもたくさんいる・・)

「日本語教室は、日本語を勉強し町の役に立ちたいと思う人を育てる場所です。そのためには、言葉だけでなく日本の文化や習慣を知ってもらう必要があります。どうか手伝って頂けないでしょうか」・・必ずそう言ってお願いするようにと話しました。

 

「ことばは文化」・・・学んだ言葉を生きる力にするためには、学ぶことで得られることを明確にする必要があります。

 

日本語教室では、読み書きに重点を置いて指導していますが、特に自分の名前を書くことにはこだわる理由は、日本はどんな場所でも、自分の名前を書くことを要求されるからです。

「書く」という行為は、仕事はもちろん、生きていく、そこ・ここに、存在します。

 

 

習字指導というと、日本の文化を学ぶとか書の心を伝えるとか言う人がいますが、日本語教室で習字を教える目的は、日本の習慣である「のし紙」と「のし袋」に名前を書けるようにするためです。。

 

日本独特の「のし紙」「のし袋」は、異文化の人には意味不明のものです。

 

「のし袋」のことで受講生達と論議したことがありました。

大学生でも留学生でもない嫁として来日した人たちから見た「のし袋」に対する意見は、中のお金が見えないのに本当にお金が入っていると信用できるのか、もしお金が入っていなかったとき、相手にどう言うのか・・など・・・

 

日本人ボランティアから、「実は、親戚の結婚式で「のし袋」にお金が入っていないことがあり、その人にどう言ったらいいのか困り、結局泣き寝入りしたことがある」との経験談があったことで、受講生達を含めとても面白い意見交換ができました。

「フィリピンはお金を見えるように渡します」「ウソだと思われないようにお金を見せるべきだと思います」「袋にお金が入っていなかったと、どうして相手に言えないんですか?」

 

島国日本と、他国との考え方の違いがとてもよく分かる話し合いでした

日本は性善説・・「のし袋」にお金を入れないはずはない、もし入っていなかったとしたら間違えたのだ、せっかく来てくれたのに恥をかかせてはいけない・・など、相手の身になり考える文化・・・・

 

その話し合いの中で、「のし袋不要論」を発言したお嫁さん達が今は、日本人の考え方が分かるようになりました。相手を信じるところから信頼は生まれます・・言葉だけではなく、文化や習慣を勉強しなくては本当に日本を理解する事はできません・・・などと・・言うようになっています

 

「のし袋」や「のし袋」を、友達同士でやりとりをして喜んでいたお嫁さん達が、最近は一家の主婦としてお中元やお歳暮を届ける立場になっています。

 

O町日本語教室の受講生にもその喜びを知って欲しいと思い、習字指導の提案をしました。

日本語の学びに喜びを見つけるようになった受講生なら、どんな人が来てもきちんと対応できるはずだと思ったからです。

 

 

外部講師を招くのは楽しそうに見えますが、日本語指導者として力量が試されることでもあります。失礼のない言葉使いと、真摯に学ぶ姿勢・・それができるようにならないと、外部から講師を招くことはできません。

たった一度の出会いがお嫁さん達の評価になる・・日本語指導者は、そのことを肝に銘じるべきです。

 

能代教室のような場所が、O町にもできつつあります。

8月3日の習字指導の日を、受講生達は楽しみにしています。

教室で学んだ日本語をたくさん使って、先生にいろいろなことを教えてもらいましょうね・・・