のし紙・のし袋

8月6日(土)は、O町日本語教室の習字学習の日でした。

 

教室では読み書きを重視しているので、漢字にも書き順があることや音読み訓読みがあることも指導しています。

地域日本語教室には漢字指導など必要ないと言う人もいます。

しかし、大人になってからの学びは完成を目標とするのではなく知識として学ぶことに意味があると思っています

 

意味の分からない漢字を写して書かせるより、辞書の使い方を教えたほうが、より実践的で喜びに繋がります。

ベトナムやフィリピン・韓国・ロシアなど、漢字圏ではない人に指導する場合にも効果があります。

漢字を覚えるのには限度があります。しかし、日本で子供を産み育てるうえでも辞書が引けるようになるのは、生きる力の一助になります。

 

今は何でもスマホや電子辞書の時代・・日本人でも辞書の引き方を知らない子供が多くなりました。

物事は、なんでも「もと」になることから、きちんと覚えないとダメです

学習会では、教育同人社「楽しく学ぼう漢字の辞典」を推奨しています。

 

 

そして・・O町日本語教室の習字教室

指導は、定年退職教員で生涯学習指導員のM先生です。

生活者として生きる外国人は、のし紙・のし袋は見たことがありますが、慶弔の違いや意味は理解できません。

異文化の嫁は、お金に関することには関わらせてもらえないからです。

 

しかし、能代教室のように20年経つと見えてきます。

財布を握っていた祖母も祖父も亡くなり、ご主人も病気になったりと、主婦としての務めを果たさなければならない現実に直面していきます。

 

日本社会では、家庭でも職場でも、のし袋は最もシンボリックな、お付き合いの主役であり、日本の風土と歴史の中で、暮らしの精神文化として培われてきた約束ごとです、(それだけに手軽に扱うのは禁物です)。

 

丁寧に「のし袋」の違いを説明をして下さる先生・・地域によってしきたりは違います。

人事の交流、マスコミの影響から、慣習の地域差はなくなる傾向にはありますが、地方ではまだまだ根強く残っています。地域日本語教室だからこそ、教えるべきことがたくさんあります。

 

習字を学んだからといって、今何かできるわけではありません。

しかし、日本語教室で学んでいるからこそ理解できることや、学びの喜びを見いだしてあげることはできます。

 

初めて筆を使った人がほとんど・・先生は各自の名前を見本に書いてきてくれました。

自分の名前を、その上から何度もなぞって書いていました。

最後に、短冊に自分の願いと名前を書きました。

「家で練習します」と、みんな張り切っていました。

 

「いやー・・みんな日本語が上手だし礼儀正しいし、まじめに勉強するので、みんなが外国人だということを忘れてしまいました。噂には聞いていましたが、こういう教室があるんですね・・素晴らしいです・・」

指導して下さったM先生の言葉です。

 

学んだことばを生きる力に・・難しそうに思えますが、受講生一人一人が生活者として私たちと一緒に生きる人たちなんだと理解してもらえたら、いろんな人が協力してくれます。

 

今回も、O町公民館担当者や指導の先生の優しさが活動に繋がりました。

心からお礼申し上げます。

 

日本語教室って・・本当はとても楽しい場所なんですけどね・・