子どもの支援とは    

 外国人労働者100万人時代、見落とされる「言語難民」の子どもたち


 外国にルーツを持つ子どもたちに日本語教育を施す事業を続けている東京・福生市の「YSCグローバル・スクール」を紹介している記事がありましたので読んで欲しいと思いました。
 

https://promotion.yahoo.co.jp/news/social_contribution/1704112/?utm_source=ycd&utm_medium=yahoojp-topics

 

「 適切な日本語教育を受けさせる支援体制は、地域格差が大きい。
学校内で何らかの支援を受けている場合でも、担当者が子どもの日本語教育に関する知識を全く持っていなかったり、ごく限られた時間数しか支援を受けられない場合が少なくない。
子どもたちが自分を知り、相手に表現できるほどの言語を身につけるためには、教育支援が不可欠、言語を失うことは居場所を失うことに他ならない」
 この記事を書いた「田中宝紀さん」の言葉は、真実を突いていると言えます。

 
学校の日本語支援員募集欄には「日本語指導ができる人」とは書かれてありません
実際に日本語指導ができる人が支援員として配置されている学校がどのくらいあるのか・・・
学校現場は教育のプロの集まりです(良くも悪くも・・)
そこに日本語指導のノウハウのない支援員が入っても、教師と対等に話し合いができるわけがありません。

 

異文化をルーツに持つ人たちにとって言葉を学ぶことが日本社会で生きる上でどれだけ重要か、特に子供の場合、人権に関わる問題だと考える人がどれくらいいるでしょう。 
 

 

20年以上前、中国残留帰国家族の中に3名の就学児童がいました
日本語が全然わからない女の子達を前に教育委員会も学校も困惑、「のしろ日本語学習会」に相談が来ました。
日本語教授法で子供の眼を見ながらの支援でしたが、確実に伝わっていく手応えを感じたことを忘れません。

 

 中国残留帰国というだけで侮蔑や差別の言葉を浴びせる教師もいましたが、日本語が理解でき授業についていけるようになると態度を急変させるのも教師?!
日本語指導の充実は、結果的に高校合格に繋がり教育委員会や学校の信頼を得られることになっていきます。

 

今のようにクラウドファンディングなど、考えもつかない時代でした。
しかし「お金がないから子どもは救えない」と、切り捨ててしまえない現実がありました。日本語が話せず誰からも救いの手を差し伸べてもらえない子供が目の前に居るのです。

 

 外国人散在地域の子供達の実情を知る人はどのくらいいるでしょう。
地域日本語教室に来ることができないお嫁さん達はたくさんいます。
日本語なんて生活していくうちに覚える・・そんな考え方の町に産まれる子供、その子供達の心に思いを馳せる大人が居ないのは仕方がないことなのかもしれません。
しかし、だからといって子どもの支援を全てボランティアに任せようとするのは間違っている・・・

 

生活者として暮らす外国人は、地域住民として支援するべきだと各市町村に全て移行してしまったことで、日本語の支援が受けられず頭の悪い子で片づけられてしまう子供達が出ている現実があります。


お金がないのなら、グランドファイナンスに頼ればと言う人もいます。
しかし、子供の教育は本質的には国や自治体の仕事のはず、お金がないからとグランドファイナンスや、ボランティアだけに頼るのは自治体の恥?ではないかと思うのですが・・・そう思うのは私だけでしょうか

 

過疎化・少子化を嘆く前に、今いる子供達をきちんと育てる仕組みを作るべきです。

 

どこの地域にも「YSCグローバル・スクール」のような支援体制が作れるわけではありませんオンライン学習システムの導入も学校の理解がないとできないのが実情です。


 クラウドファンディングはとてもありがたいシステムです。それによって助かる人たちはたくさんいる思いますが、それが地域住民や自治体を巻き込むことに繋がって行くかというと疑問です。
逆に行政や学校から丸投げされてしまう・・「学校では対応できないので専門的なところで学んで下さい」と、突き放される子供が出てきそうです。

 

都会の外国人散在地域と、過疎化・少子化する地方の街の散在地域では状況も環境もまるっきり違います。

 地方は地方だからこその支援体制を考えるべきです

 

町づくりの一環として異文化の子どもの支援を考える。
 地域住民を動かし行政や教育委員会を動かす・・先行投資としての子どもの支援・・そんな施策を考える必要があります。
 
 国語教育と日本語教育の違いを学校教師と論議する、
 日本語指導の成果を確実に出して行く
 行政に国際社会とは何かを理解させる
 地域住民を巻き込むために何が必要か考える

 

 地方の街の日本語指導者は、勉強することがたくさん(苦笑)

 

「日本語指導者ってそこまで勉強しなくてはいけないの?」と聞かれるのですが、地域日本語教室は何のために必要なのか、日本語指導者は何を教えるべきなのか・・言語教育の本質を見据えた指導が、これからの地方の町には必要な気がします。
 
どんなに困難でも、学校から子供を遠ざける日本語指導はするまいと決め、子どもの支援をしてきました。
学校から乖離した日本語指導は、日本人住民との関わりが上手くできず、コミュニケーション下手な人間になるからです・・。

 

人に寄り添う活動は、継続しなければ見えない事がたくさんあります
やさしいつもりが大きな間違いであったことに気づく・・そんな失敗を何度も繰り返してきました。

 

日本語指導者が寄り添う時間は、一生のうちのホンの短い時間です。
日本で生きると決めた彼らは、これからもたくさんの困難に遭うでしょう。
負けないで生きて欲しい・・だからこそ、学校からも社会からも逃げずに立ち向かう人になって欲しい・・そう願います。

 

日本語支援者にも、指導者も、行政を変え、学校を変え、地域を変えていく気概が必要です。
  腹をくくるって・・・そういうことなんですよね・・